うめわさび日記

酸っぱいことも からいことも、なんでもかんでも雑多に

【体重計の無い生活】体重計が壊れて3か月が経ち、体重という呪いから逃れつつある

 

約3か月前、体重計が壊れたんですけれども、特に買い直しはしませんでした。

20代前半からもう10年近く、毎日毎日体重に一喜一憂して、自分が体重コントロールするどころかされているじゃないかと。逆に、体重に振り回されているじゃないかと。思ったんです。

体重計があると、朝起きて寝ぼけまなこで体重計に乗り、そりゃ体重なんて減っていないことのほうが多いじゃないですか。それでなんか気分が重くなり、一日が始まる。

冷静に考えて1日で体重が減るわけないんです。減ってもそれは脂肪じゃない。ほぼ水分。

なのに、「ああ減ってない」と一日のスタートに、思ってしまう。自分で自分を洗脳してる。「私は痩せていない」「太ったままだ」「何も変わってない」と。明確に言語化はしていなくても、強烈に潜在意識に刷り込まれてる。365日。これってすごく怖いことじゃないでしょうか。

もちろん明確な目的意識をもって、毎日体重をはかると決めている場合はいいと思うんですが、私の場合は本当に漫然と、体重計に乗っていたんです。

もはや、今日も自分が昨日より痩せていないということを確認するだけのために。

なんか、やっぱりそこにあると乗っちゃうじゃないですか。0,1キロでも減っていたらうれしいし、前に一歩踏み出すだけでちょっとうれしい気分を感じられる可能性があるんだから、「どれどれ」なんて別に深く考えずに乗りますよね。そしてしょんぼりする。しかも減っていたところで、まあ実際うれしいはうれしいけど、「またすぐ戻るし」とか「どうせ水分だし」とか、あれこれ思う。

そういう人ってもしかして、多いんじゃないかな。

意外と体重計がないならないで、別に平気なんですよ。

計らなくてもいいという意識からちょっと食べすぎちゃうとか、そういう効果は考えられると思うんですけど、でもそんなのって結局やせる気ないってことだから、体重計あっても食べてると思うんですよ。実は。

食べない!と決めるより、今日はあまり動いてないし、ここでは甘いの食べないでおくかとか、一駅歩いてみるかとか、そういうのをキープするのが大事。体重計があると、目先の数字で「我慢したのに、一駅歩いたのに全然意味ないじゃん」と嫌になってしまう。でも体重を計らないから、それがない。「食べない選択ができた自分」「少し長く歩いた自分」を純粋に楽しめる。塵も積もればで、体重は、後からついてくる。

「体重の呪い、解けたかも。」

そんなふうに思った最近なのでした。